苺鳥赤い鳥が夢に出てきた。私の肩に乗り ふわふわしていた。撫でてみると その赤い鳥の体は苺でできていた。とても温かい鳥だった。劇団ナカゴーのとしちゃんが亡くなった。としちゃんとの出会いは2005年。舞台で共演し劇団の公演を観に行った。衝撃だった。あ、天才みっけた。同じ年代に、同じ北区出身にこんな才能がある人が存在していることだけで とても嬉しかった。としちゃんは自分で書いて、演出もしていた。 見たことのない世界だった。 ナカゴーという『世界』を創っていた。どうしても出演したいとしつこくお願いしたら 仕方ないから出してやるよ。と言われた。誰かのモノマネみたいな言い方で。稽古中は楽しくて楽しくて、笑いすぎてお腹が痛かった。腹筋崩壊していた。稽古帰りに立ち寄った王子駅のマックでもずっと笑っていた。稽古中にあんなに笑ったのはあの時が最後だと思う。 あの時の気持ちは一生忘れずにいたいと思う。それから時が経ち、私はフラフラと旅人のような生き方をしていた。としちゃんは変わらず淡々と脚本を書き、公演を続けていた。 コツコツと自分の世界を何個も何個もつくっていた。私の大切な人が亡くなった時、なんでかは分からないがとしちゃんの顔がふっと浮かび、連絡したら会ってくれた。私の話をじっと聞いてくれた。かわいそうだから奢ってやるよ、と 誰かのモノマネをしながら珈琲を奢ってくれた。 としちゃんが自転車に乗って帰っていく後ろ姿を見送った。 私はとしちゃんに珈琲を返せる日がまた来ると思っていた。その後、地元の商店街でばったり会ったりした。知人に街を紹介しているとのこと。またばったり会えるか と思っていた。同級生からとしちゃんの知らせを聞いた日の夜、洗濯物を畳んでいると あんた、肩に、、なんか、、と家族に言われた。じっと私の肩に張り付いていた。カメムシだった。としちゃ、、、んではないと思う。としちゃんかもしれない、、。いや カメムシだ。と私は引き続き洗濯物を畳んだ。あたりまえの日々はいつかは終わる。 だから今わたしは洗濯物を畳むのだ。そしていつものように眠る。その日は赤い鳥は出てこなかった。作家であり演出家でもあるけど 私にとっては優しくて静かな同級生、という存在でした。何よりも悲しんでいる人を見るのは心が痛い。あっちに行っても スティックのグラニュー糖を一気飲みしてるかな。いつかあっちで珈琲返すね。心よりご冥福をお祈り致します。2023.09.01 11:06
2019コロナ前2021コロなう世界がガラリと変わっていく。私の愛しい舞台はかなり苦しい状況になっている。それでもやり続けていかなくてはいけない。そう思う。視点を変えて、頭を柔らかくして。2019年のこと下北沢の小さな劇場で長い付き合いの演出家の舞台に出演した。役者というか人間が好きでいつも目がギラギラしている演出家だ。稽古が実験的で面白い。以前に一軒家の部屋の中で芝居をしたことがある。あの経験は今でも忘れられない。体験、の方があっているかも。劇団オーストラマコンドーの倉本さんだ。いつも無茶なことを言って周りをヒヤヒヤさせることに関して天才だと思っている。東京の小さなアパートからはじまり、学校、村、海、色々な状況の舞台に参加させてもらえた。今でも印象に残っている舞台だったと観に来てくれた方々から言われることが多い。もう10年経つと言うのにね。この年に参加した舞台は絵本の中というテーマだった。家出した主人公(ねずみ)を家族(もちろんねずみ)が探しにいくお話し。2021.04.23 10:28